20200228

 なぜこんなに怠惰で無関心な人生なのか考えた軽くまとめる。

 

 努力に関して褒められることのあまりない子供だった。勉強は得意ではなかったがいい点をとっても「当たり前」と言われた。塾にいっても伸びることのない子供だった。忘れ物や提出物の紛失が多かった。運動は苦手だった。勉強は嫌いなせいで頑張れなかったと思っていたがもしかしたら頑張っても評価されない虚しさにもあるのかもしれないと今更思う。図工や美術は好きだった。図工で作ったものがどこかに飾られることになった。「上手い」「センスがある」そんな風に褒められた。その頃は嬉しかった。真に受けた。時間をかけて作った物を見て能力一点を褒められた。元々持っている能力に憧れそれが自分の価値であるように心の底では願っていた。子供の頃褒められた能力一点を信じて大学で美術コースを選考し卒業した。努力より能力を示すことが重要と無意識に思っていたので考えていることと実際の作品のクオリティにギャップが生じ落ち込んだ。

 少し遡り高校ではバンドをやり絵を描くより楽しい事を見つけた。ここでも努力より自分の能力やセンスを認められたいという欲が生まれ自分は下手なままで周りの優しさに甘えて的外れな要望をしたりした。

 幼い頃に努力を褒められることは自分の成長が楽しいと感じる第一歩なのかもしれない。そのうち吸収できる楽しさを知れば次第に褒められなくても勝手に努力していたかもしれない。自分の価値が努力によるものだと信じれば努力すればするほど自分の成長が楽しいかもしれない。自分の価値が能力やセンスや才能によるものだと信じたら少しうまくいかなかっただけで病んでしまうのかもしれない。

 過ぎた事の解釈はいくらでもできるが無意識に当たり前になっていた虚しい行動原理を自覚した。

 努力量に伴わない承認を欲していた。思い通りにいかないといじけたりしたくなる。人を思い通りにしたい思いがあった。自分を分かってほしくてクドい話をしたりした。自分で自分を認められない。ひとりで完結してるような素振りをしてたけど本当は周りの目がとても気になっていた。

 

 しかしこれからは自分で自分を認めて良い。自分の望むような能力やセンスはまあ無いよ本当の事。いじけたくなるのは認めて欲しさの裏返し。人が思うように動かないのは自分を認めてないからじゃなく人もその人自身の人生を生きてる上で自分と関わってるということだ。他人軸でなく自分の人生を生きろと背中で誰もが言っている。つまらない,下手,センスないと思われた気がしても面白さが自分で分かっていればOK。努力をたのしんでいけることを願う。